大阪で生まれた最新技術の開発製品を広く日本~世界へお届けする使命を背負って歩み始めました。
日本の政治・経済が東京一極集中により、第二の都市として繁栄した大阪の衰えが気がかりです。日本の繁栄の歴史を担ってきた街から発信することの意義をお届けしたいと願っています。
2018年の今、大阪は発展の環境に満ちています。特にアジアの玄関口としての地位が確立されつつあります。
大阪府は西日本の行政・経済・文化・交通の中心である。都道府県としては、東京都、神奈川県に次いで日本第3位の人口規模を持ち(2010年法定人口)、人口密度は東京都に次いで日本第2位、県内総生産は、東京都に次いで全国第2位になります。
大阪府庁舎
大阪城に面した上町台地に庁舎を設け、大阪府の行政を執り行っています。
大正15年(1926年)竣工の大阪府庁本館。5階にある「正庁の間」は、行事や式典に使用されていました。この度、大正時代当時に近い姿に復元改修し一般公開をしています。 室内は、天井や壁のレリーフ、床の寄木貼のほか、シャンデリア・ステンドグラスなど大正時代の雰囲気を今に残す格調高い内装が見どころです。
大阪市が所有していたWTCを歴史ある大阪府庁舎の移転を考えたが、遠くの東日本大震災で予期せぬ「長周期地震動」の影響を受け一部損傷の被害を受けました。埋立地の液状化の問題もあり、災害時の行政機能の在り方などの検討も問われています。
東京一極集中により歴史ある企業も本店機能が東京に移っています。大阪府を中心とした関西圏の復権が大きな命題になっています。
日本の成長を支えた多くの企業は京阪神等から生まれ世界に羽ばたいています。
大阪府・大阪市など行政と関西経済界は一体となって経済の復権を目指し力を結集しています。
成長著しいアジア地域に近い関西国際空港、大阪湾岸エリア、埋立地(咲州・舞洲・夢洲)を利用して輝くエリアを目指しています。
大阪には世界に羽ばたく小さな中小企業が脈々と技術を磨き、継承しながら新しいものを生み出しています。
2600年前に神武天皇が日向(宮崎)から瀬戸内海東へ難波灘についたとされています。大阪湾を利用した海運の要衝として栄え大和の国(奈良)が一時期大坂に宮を置き祭祀(政治)を行っていました。平城京(奈良)長岡京(京都)に遷都する前は日本国の天皇が執事を行っていたと記(古事記・日本書紀)されています。現在大阪は880万人の府民と40兆円の経済を支える街で、西日本の人や物資の集積地として栄え、交通の要衝になってすべての鉄道は大阪の都心へつながっています。 大坂→大阪に表記されるようになったのは明治以降です
古代の歴史書古事記や日本書紀に大阪府の土地に多くの天皇のもと宮や都が置かれていたことが記されています。世界遺産に登録申請している仁徳天皇陵のある百舌鳥・古市古墳群等大小多数の天皇陵古墳が造られています。古代には瀬戸内海航路の終着点住吉灘に大和王権直属の社だった住吉大社があります。 ウキペデイア