· 

阪神・淡路大震災~30年 戦後最大の地震災害

阪神淡路の活断層帯で発生 震度7の恐怖

阪神・淡路大震災は、阪神淡路の活断層帯で発生し、震度7の恐怖をもたらしました。この地震は、1995年1月17日早朝に発生し、6434人の尊い命が失われました。地震の揺れとその後の火災により、多くの建物が倒壊し、甚大な被害が発生しました。

 

この震災をきっかけに、日本の防災対策や建築基準は大きく見直されました。震災の教訓を生かし、今後も防災意識を高めていくことが重要です。大阪で被災した私は、突然のガタガタと言う揺れに飛び起きました。テレビでは京都の震度が報道され京都方面だと思いましたが、時間が経つと神戸方面の状況が映し出されました。

 

建物倒壊と大火災の恐怖の光景

阪神・淡路大震災は、戦後最大の地震災害として多くの人々の記憶に刻まれています。この地震は、1995年1月17日に発生し、震度7を記録しました。6434人の尊い命が失われ、多くの人々が被災しました。地震の揺れとその後の火災により、多くの建物が倒壊し、甚大な被害が発生しました。

 

この震災は、日本の経済や社会インフラに大きな影響を与えました。1991年から1993年にかけてのバブル経済の崩壊と重なり、日本は「平成不況」の始まりを迎えました。経済活動や社会インフラが寸断され、阪神間の工場や物流などの活動が停止しました。阪神高速道路の倒壊や新幹線橋脚の損傷など、インフラの崩壊も大きな問題となりました。

2週間後に神戸市長田の菅原市場に見舞い
2週間後に神戸市長田の菅原市場に見舞い
上皇夫妻(当時、天皇皇后両陛下)被災地へ
阪神・淡路大震災や東日本大震災などの被災地を見舞っています。
阪神・淡路大震災
  • 1995年1月31日に神戸市長田区菅原通で被災地を見舞い皇居に咲く水洗の花をたむける
  • 1995年2月26日に神戸市中央区の諏訪山小学校で被災者を励ました
  • 発生から2週間後に余震の続く被災地を訪れた
  • 翌年(平成8年)の追悼式典に出席した
  • 平成13年に復興状況の視察などのため再び兵庫県を訪れた
  • 平成17年と平成27年にも神戸市で行われた追悼式典に出席した
東日本大震災
  • 2013年7月に岩手県遠野市を訪問した
  • 津波被災地の文化財の修復をする「文化財レスキュー」の活動や被災地への献本活動について説明を受けた
災害が発生すると、現地関係者の負担にならないよう配慮しつつ、できるだけ早く見舞いに向かいました。

令和天皇皇后両陛下 30年追悼式典に出席

阪神淡路大震災 30年追悼式典 天皇皇后両殿下出席

 

令和天皇皇后両陛下は、阪神・淡路大震災から30年の追悼式典に出席されました。この式典は神戸市で行われ、天皇陛下は震災で亡くなられた方々に対して深い哀悼の意を表されました

天皇陛下は、震災後に被災地を訪れた際の思い出や、復興に尽力された多くのボランティアや各分野の活動団体、さらには海外からの支援と協力に対して感謝の意を表されました。また、震災を経験していない世代が増えている中で、震災の記憶を風化させず、次世代に伝えていくことの重要性を強調されました

このような式典を通じて、震災の教訓を次世代に伝え、防災意識を高めることが大切ですね。

平成は不況と巨大災害に見舞われました

平成時代は、日本にとって非常に厳しい時期でした。バブル経済の崩壊により、1991年から1993年にかけて「平成不況」が始まりました。経済は停滞し、銀行の破綻や企業倒産が相次ぎました。

さらに、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災は、震度7を記録し、6434人の尊い命が失われました。地震の揺れとその後の火災により、多くの建物が倒壊し、甚大な被害が発生しました。阪神高速道路の倒壊や新幹線橋脚の損傷など、インフラの崩壊も大きな問題となりました。

このような困難な時期に、日本は復興に向けて多くの努力を重ねました。震災の教訓を生かし、今後も防災意識を高めていくことが重要です。震災の記憶を風化させず、次世代に伝えていくことが大切ですね。