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与党過半数割れによる健全な国会議論 ?

バブル崩壊後の細川内閣誕生 離合集散

55年体制(1955年・昭和30年~)保守合同による自由民主党が成立して長期政権が始まりました。55年体制と表現されてきました。戦後の混乱期10年間は連立政権が多く見られました。高度成長期~バブル経済期において55年体制の自民党政治が続きました。世界初のバブル経済崩壊(1991年3月~)によって日本の経済社会は大混乱に陥りました。

1993年5月~自民党竹下派を離党した小沢一郎などが新生党を発起、野党8党の大連立政権の細川内閣(日本新党代表)が誕生した。1955年(55年体制)から始まった自民党一党支配からの脱却をはかり「政権を担う対立する政党」を目指しました。しかし、翌年(1994年)自民党の巻き返しで自民+さきがけ+社会の連立内閣発足、社会党党首村山氏を首班指名し内閣を発足させました。翌年(1995年)阪神・淡路大震災が起こる。村山首相は”大災害を経験したことがない”と表現し、バブル経済崩壊による政局の不安定はその後も続きました。

2001年森総理退陣 小泉総裁誕生

2001年森総理退陣表明を受け3度目の立候補した小泉純一郎は景気対策、財政構造改革に加え党改革を掲げ橋本龍太郎・麻生太郎に圧勝して総裁になりました。小泉純一郎は組閣に当たり女性5人、民間から竹中平蔵などを選び派閥にとらわれない小泉内閣を発足し、内閣支持率は80%を超し、絶大な信任を得ました。アメリカブッシュ大統領とも個人的関係を構築し日米同盟を確固たるものにしました。2001年9月11日ニューヨーク貿易センタービルなど飛行機による同時多発テロ発生、世界を震撼させました。国際テロ組織を首謀したオサマ・ビンラデインなどがあげられ、アメリカはイラク・アフガニスタンなどを標的に侵攻し、日米同盟の対応措置として新規立法が設けられ、自衛隊の後方支援などが議論され中東に派兵しました。

平成14年(2002年)小泉首相の北朝鮮電撃訪問によって拉致被害者5人を連れて帰ってきました。 

2009年政権交代 民主党単独過半数で圧勝 自民党下野
2009年政権交代 民主党単独過半数で圧勝 自民党下野

第一次安倍内閣~毎年変わる日本の首相

5年間の国民の信任を得た小泉内閣後に指名を受けた第一次安倍内閣は閣僚の不祥事が続き一年で持病を理由に退陣しました。”美しき日本”を掲げた第一次安倍政権が終わり、官房長官の福田康夫が指名され総理大臣となりましたが「捻じれ国家」などで苦しみ麻生太郎に引き継ぎました。2008年のアメリカ発リーマンショック(バブル崩壊)による世界不況により日本経済も平成不況の厳しい局面が続いていました。経済の停滞は政局にも及び衆議院総選挙で自由民主党が敗れ下野氏、民主党が単独過半数(308議席)を占め第一党となり戦後初の劇的な政変「政権交代」が起こりました。

民主党政権による「事業仕分け」は国の予算執行にあたって、仕分け人がその事業は必要か否かを判断し、無駄を省く民主党政権の目玉政策として脚光を浴びましたが、功罪両方あったと言われています。

3年間(民主党3党首 鳩山・菅・野田)を経て政変、第二次安倍内閣発足しました。

第二次安倍政権は過去最長の総理大臣となる

第二次安倍政権は第一次の失敗と反省の中で学んだ政権運営を慎重に進め、官房長官に実務派の菅官房長官を据え安定した内閣運営を行いました。7年8ヶ月の長期安倍政権を築きました。しかし、森友・加計・総理主催の花見の不正支出など問題を抱えながら、三本の矢(大胆な金融政策・機動的な財政政策・民間投資の成長戦略)として提唱しながら、諸外国との交渉・連携を行ってきました。しかし、長期政権の中で「負の局面」も表面化し、2020年の「新型コロナウイルス発生」期に持病の再発を理由に退陣しました。退陣後、凶弾に倒れ更なる負の「統一教会問題」「自民党安倍派の不正会計処理」などが表面化し厳しい評価となりました。負の部分を追及する野党の攻勢に政権与党が下野する引き金となりました。

自民党総裁に石破茂氏

自民党安倍派を中心とした「政治資金規正法違反」事件が表面化し、岸田自民党総裁(首相)は責任を取って退任することとなり、自民党の9人による総裁選挙が実施されました。国会議員に不人気と言われている「石破氏」は2位となり決選投票を高市早苗氏と争い自民党総裁に選ばれました。立憲民主党は元総理大臣野田氏を担ぎ対抗しました。世論調査で厳しい自由民主党が与党(自民党+公明党)が衆議院総選挙で過半数割れとなりました。躍進したのは立憲民主党と国民民主党となり衆議院本会議で石破茂氏が内閣総理大臣に首班指名されました。

石破政権は野党との対応に配慮する行動

大躍進を遂げた「国民民主党」7→28人

自公過半数割れの中で、少数政党「国民民主党」は”手取りを増やす”のフレーズで全国遊説を行い大躍進を遂げました。与党過半数割れの中で「103万円→178万円の壁突破」を掲げ、主婦のパート、学生アルバイトの就労制限撤廃を掲げ躍進しました。103万円・130万円など税金扶養控除や年金賭けの金額の壁に当たる「就労制限が大きな壁」となっていると訴え躍進を遂げました。28人の数の力で与党にも野党にもなれる人数で自公を揺さぶっています。日本維新の会も教育無償化で与党に迫っています。野党の連立で与党に対抗できるが難しい面もある政局です。