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大国中国 不動産バブル崩壊懸念に揺れる

世界に恐怖の社会「新型コロナウイルス」

2020年1月20日習近平国家主席が中国武漢市で「新型コロナウイルス」の発生、最初のロックダウン都市「武漢市」が発表され、世界は混乱の渦に中に巻き込まれました。成長を遂げる中国社会の2月「国慶節」が近づき民族大移動を迎えていました。2月、日本の横浜に入港した豪華クルーズ船に香港で下船した人から発症を確認、係留中に船内の3500人の乗客・乗員の中から次々と感染が確認され混乱が始まりました。3年に及ぶ変異株による感染拡大によって社会は混乱、経済活動が停滞し、最大の感染国はアメリカになりました。発症から3年、2023年5月日本の医療体制も「コロナと共存する」5類に移行して社会経済活動を解放しました。

発祥地の中国は徹底した「ゼロコロナ政策」

習近平主席は発症地武漢市のロックダウン、10日で仮設病棟2棟の建設、習近平主席の功績として称えられました。WHO(世界保健機構)のペドロス事務局長は中国を称賛しました。2年を経過する中で繰り返される「変異株」によって感染が拡大、中国はロックダウンの功績と習近平の功績「ゼロコロナ」を続けていました。世界は増え続けるも発祥地中国は「ゼロ」報告、中国の不透明な政策にWHOのペドロス事務局長も政策変更を表明しましたが、中国は2022年5月中国最大の商業都市上海(2400万人)の2か月間の強権的なロックダウン政策が行われ国民と中国経済に大きな打撃を生みました。前年の2021年に制限された住宅融資によって「住宅バブルの懸念」が表面化し中国政府も融資制限に踏み切っていました。 融資規制によって中国不動産大手2位の恒大不動産の破綻危機が表面化し、今も拡大して碧桂園(中国最大の不動産会社)の破綻も問われ、中国経済の3割を占める不動産危機は中国経済の破綻(バブル崩壊)の懸念が世界的な懸念に発展しています。

中国「白紙運動」によって政策変更

中国各地で厳格な「ゼロコロナ」政策に抗議する「2022年末頃の白紙運動」が起きてから1年。運動を一つのきっかけに同政策「ゼロコロナ政策」は即座(2022年12月)に撤廃され、市民側の「成功体験」となったが、習近平政権は学生運動を警戒し、監視を強化しています。運動に参加した市民は拘束や当局の監視下に置かれているとされ、言論封殺は一層加速しています。1989年6月4日、天安門に集結した学生を中心とした民主化運動に、鄧小平が国軍によって制圧「天安門事件」を封殺しました。習近平政権は「白紙運動」中心となる学生運動で拡大することを懸念し「ゼロコロナ政策の停止」と「民衆の取り締まり強化」による政策転換にによって国民を沈めた。しかし、問題となる経済の停滞は先送りされている。

中国経済の停滞による危機はどうなる

日本のバブル崩壊と中国の低迷する経済

2022年2月24日 ロシアのウクライナ侵略戦争が勃発、冬季北京オリンピックの開会式前を利用して中ロ(習近平×プーチン密約)、互いに厳しい内政の中で新たな局面を求め、対アメリカの戦略において結束を固めた。しかし、短期間で収束する予定のウクライナ戦争は2年の長期となり未だ収束の目途が立っていません。互いの思惑の中で協力することを模索しながら今に至っています。大国の侵略戦争という構図の中で、エネルギー資源高騰、主要食料品(小麦・トーモロコシ・・)の高騰によって世界各国で物価高騰の混乱が起こっています。

日本のバブル経済崩壊(1993年)の構図と、今低迷する中国経済の状況を重ね合すことが多くあります。しかし、覇権国家として世界一を目指す習近平国家主席の専制主義国家との対応に大きな違いがあるような気がします。 

 

ソビエト連邦崩壊を招いた社会主義経済

ロシア帝国(1721~1917年 196年)は日露戦争(1905年)、第一次世界大戦(1917年)で敗れ帝国が崩壊し1922年共産主義国家連合のソビエト連邦共和国が誕生しました。中国の清国(1636~1912年 276年)はアヘン戦争(1840~1842年)に敗れ「香港」は英国の割譲租借地となり、統治末期は欧州の強国に侵略され主要な沿岸部は植民地化しました。1905年日本は清国に攻め入り勝利(日清戦争)し日本が台湾を統治(1905~1945)しました。200~300年同時期に皇帝国家清国、ロシア皇帝、徳川幕府が統治していました。フロンティア(未開地)を求めてアメリカ大陸へ渡り、英国初の産業革命によって近代化が進み、アフリカ大陸、インド、アジアの未開地を求めて皇帝国家中国や武家国家日本に市場開放を求めました。進出によって欧米の国家統治と産業の近代化に圧倒され、農業国家中国、ロシア、日本は統治国家の違いを痛感しました。ロシア帝国は第一次大戦に敗れ共産主義国家が誕生しました。中国は日清戦争に敗れた後、孫文率いる中華民国が統治する中、誕生した中国共産党と内戦になり、第2次大戦後力をつけた中国共産党が国民党を責め北京→上海→台湾へと追い詰め1948年中華人民共和国として首都北京・天安門で中華人民共和国旗を掲げました。孫文の流れをくむ蒋介石が率いた中国国民党は台湾島に渡り中華民国設立(初代総統 蒋介石)した。

日本は「明治維新」で「武家と鎖国社会」を解放し、欧米に学び、議会政治、身分制度の廃止、資本主義経済の導入など民主主義国家として近代化の道を選択しました。

明治維新と産業革命

資本主義 社会主義 共産主義 ??

江戸幕府は?主義に当たるか検証するとどれにも当たらない、天皇制と徳川国家統制は資本主義・社会主義・共産主義でもない武家社会であった。徳川江戸幕府が統治する中で、各地の大名に権限がありました。江戸幕府に一元統制するには「藩をなくす」必要があります。

大坂の淀屋(米問屋)のように商人が富を築き、幕府、各藩、庶民、農民とは自由に商いをして富を築いた。日本は江戸幕府から明治維新によって近代化の柱として欧米の資本主義の市場経済を早く取り入れることができた。

日本 明治維新で欧米に習い一気に近代化の道を歩みました。国家元首は天皇陛下、武家社会の統治から廃藩置県によって中央集権の官僚統治と地方行政、地租改革を実施(M6~12年)土地所有者の権利、年貢→税による金銭、寺子屋→学校、徴兵制度、三権分立の議会運営・・・・明治維新で多くの改革を実践しました。

中国 中国は問題となっている農村部と都市部の格差が3倍以上となっている。鄧小平の改革開放政策の中で「先富論」によって都市部は農村部の3倍の所得格差が生まれ、農村部からの出稼ぎ労働者が都市部へ流れました。鄧小平も改革開放で成長する都市部との格差を懸念して「共同富裕」思想を唱えています。習近平政権は「共同富裕」を掲げながら「一帯一路構想」「AIIBアジア開発銀行主導」など世界の覇権国家目指す、世界2位の経済・軍事大国の野望を2013年就任から一貫して推し進めてきました。専制主義国家で共産党一党支配の国家運営の中で、内政・外交とも難題が蓄積して調整、修正が困難な状況も生まれています。

14億人の民と世界の工場として急成長を遂げた中国の複雑な歴史と中華人民共和国設立75周年を迎え

難しい国家運営が求められていると思います。世界2位の経済大国の混乱は世界にも大きな影響を及ぼします。 中国の実情を知ろうと学びましたが難しくよくわかりませんでした。↓

RIETI - 「共同富裕」を目指す中国-カギとなる農村所得の向上と二次分配改革-