「憧れるのをやめよう」大谷翔平は!
WBC(世界野球)の決勝、大谷翔平は「憧れるのをやめよう、優勝するために来た!」日本選手を鼓舞した言葉を思い出します。WBC優勝後もエンゼルスチームで二刀流として大活躍を続けています。大谷翔平28歳の大リーグ挑戦を日本の多くのフアンが「又打った、30本、7勝!活躍に一喜一憂しながら中継やニュースを追いかけています。大リーグでは通用しなかった「パワー」は193㎝、100㎏アメリカでも憧れの選手に成長した大谷翔平28歳は今、アメリカ大リーグの憧れのトップスター選手になりました。
15歳大谷翔平の野球選手の目標
大谷翔平選手が15歳(高校1年生)の時監督の指導で目標達成シートを作成し確認しながら野球を追い求めていたことが表現されています。大谷翔平の原点が書き込まれ今の大リーグの活躍が実現していることを表しています。「8球団ドラ1」の目標から高校3年生(ドラフト前)は「大リーグで二刀流を目指す」目標に替わっていました。ドラフトで日本ハムが強硬(1球団)指名し、当時日ハム栗山監督が大谷選手の目標を実現するプログラム示しながら入団の説得を続け「日本ハム入団」実現、二人三脚で5年間二刀流のを実践追い求めました。プロ野球6年目二刀流を掲げて大リーグ球団を探し、実現に理解を示したエンゼルスに入団しました。
日本ハム(5年)+エンゼルス(5年+6年目)の活躍
プロ野球の中で1918年ベーブ・ルースの投手2桁勝利+2桁本塁打の記録しかなく「二刀流」は定着しなかった。大谷の挑戦は大リーグでは懐疑的であったと言われています。しかし、大谷は大リーグ初年度4勝+22本塁打を記録し新人王に輝きました。しかし、160㎞のスピードボールを投げる大谷の肘に過度の負担がかかり、じん帯を修復するトミー・ジョン手術をし、翌年リハビリで投手の実績はなく、打者・打率286厘・本塁打18本・打点62一定の活躍をしました。2020年は新型コロナウイルスの関係で試合数激減、翌年(2021年)本塁打46本・100打点アメリカンリーグMVPに輝くスターの道を歩みだしました。2022年度ヤンキースジャッジとMVPを争いました。