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バブル崩壊後の平成不況 30年を振り返る

バブル崩壊後に起こった政局と社会の混乱

日本は世界経済を制する勢いで高度成長からバブル経済の社会を造り出しました。金融・不動産バブルの崩壊は悲惨な日本社会を生み出す結果となりました。日本の至る所で不動産売買が繰り返され、リゾート地が開発誕生されセカンドハウスが生まれ、日本各地の山林を切り開き会員権投資のゴルフ場が造成されました。日本で飽き足らず海外にも同様の展開を広げ、世界的に有名ビルなども買収、金満日本を作り上げました。しかし、1991年3月(平成3年)一瞬に株が暴落し、土地が二束三文の金額に落ち込み多くの企業や個人が負債を抱え破綻しました。平成不況は異常な社会が作り出したバブル経済の負の遺産の後始末(清算)をするを年号になりました。平成の厳しい社会が30年続き令和元年(2019年)を迎えました。

  • 海部内閣 1989~1991年 1990年株価暴落半値、地価の下落で土地神話崩壊、景気が一気に冷込む、湾岸戦争勃発(イラクのクエート侵攻)10兆円の支援を決定拠出
  • 宮沢内閣 1991~1993年 10兆、13兆の大規模景気対策、大半は公共工事に、景気回復ならず。

バブル崩壊で政局の大転換 野党連立の細川内閣発足

1991年のバブル崩壊によって、日本社会は大混乱に陥り、55年体制を続けた自民党田中派(竹下派)→分裂新生党が誕生し大きな政局へと変わりました。総選挙で自民党過半数割れ、野党8党が結束して自民党に対抗して細川護熙(日本新党)党首を担ぎ連立政権を樹立しました。連立与党の厳しさの中で混乱を招き短命の中で、自民党は社会党と連立を組み政敵の村山富一首相(社会党党首)を立て政権に復帰しました。政権の混乱は継続され深刻な平成不況が拡大し、日本の活力はどんどん衰退の一途を辿ることになります。平成不況30年の政局の始まりです。

  • 細川内閣の成立 1993年(平成5年)自民党下野野党8党の連立内閣発足 日本新党細川護熙首相、公定歩合1.75↓、円高→株価暴落、15兆景気対策 ・羽田内閣2ヶ月
  • 村山内閣 自民党・社会党の連立内閣で社会党村山富一首相誕生、1995年1月17日阪神淡路大震災戦後最大の惨事、銀行破綻相次ぐ、固定歩合1.75→1.0→0.5 14兆円の景気対策、住専処理
  • 橋本内閣 1996年~1998年 公定歩合0.5 公的資金枠30兆円 景気対策16兆円 住専処理成立、金融再生法成立 消費税5%、医療費の2割負担、三洋証券・北海道拓殖銀行、山一證券、ヤオハンジャパン、日産生命保険などが破綻
  • 小渕内閣 1998年~2000年 公的資金枠60兆円、景気対策27兆円など総額107兆円の経済対策+18兆円の景気対策、ゼロ金利政策、大規模公共事業、住宅ローン減税、企業倒産負債総額14兆円戦後最悪、翌年1999年 企業倒産負債総額13兆円3年ぶり減少
  • 森内閣 2000:4~2001:4 公定歩合0.5→0.25、経済対策11兆円 緩やかな景気回復、デフレ不況

政治の混迷の中で負の遺産が拡大する中での対策

日本のバブル景気は1986年(昭和61年)12月~1991年(平成3年)2月までの4年3カ月を表現しています。戦後復興~高度成長期を駆け抜けた日本はアメリカに次ぐ世界2位の経済大国となり世界最大の成長国家を描き続けました。明治維新を成し遂げた日本は欧米の政治・経済・技術を学び、明治期に清国と戦う日清戦争に勝利し、南下する強国ロシア帝国と戦うことになり英国などの支援を受けて日露戦争に勝利し成長する軍事国家として積み重ねてきました。国家元首を天皇として掲げ、世界の中の日本を描いてきました。しかし、成長の課程で軍部の暴走などが起こり、世界を敵に回して第2次世界大戦を仕掛ける無謀な戦争を引き起こし1945年8月15日日本全土焼け野原の敗戦国となりました。戦後は平和憲法を基に社会秩序の維持と復活、繁栄に邁進してきました。明治維新を成し遂げた日本は新たな戦略で戦後復興~高度成長の社会を造り一歩一歩みを続けました。高度成長期の真っただ中、最大の危機は1973年の第4次中東戦争による原油不足と高騰のオイルショックを経験し、狂乱の物価高騰が起こりましたが政治と国民が一体となって乗り越えてきました。1980年代に入ると突出した日本の高度成長はプラザ合意(先進5カ国)為替の自由化による円高への誘導を模索、日本は国内需要を喚起することで調整を計りました。金融市場の拡大で土地不動産への投資、株への投資、ゴルフ場の会員権、リゾート地の開発、金余りの贅沢などが加速し、海外にまで不動産購入を増やし、「土地神話」によってバブル経済が起こり、「あっというまに崩壊」が起こりました。残されたものは多額の負の遺産「紙切れ」になり、社会は大きな混乱の一歩を踏み出すことになります。

バブルの負の遺産は「平成不況」を苦しめる

今、日本は平成不況から脱しようと必死に試みようとしています。団塊の世代が経験した高度成長期→団塊二世が味わったバブル崩壊と雇用制度の崩壊を振り返ると、日本社会に大きな影を落としてきたことが伺えます。平成期に入るとバブル経済の負の遺産を背負いながら、阪神・淡路大震災、東日本大震災・・など多くの巨大災害に見舞われた元号でもありました。令和の時代になって「新型コロナウイルス」の発生~変異株による世界的拡大が起こり終息にに向けて世界は必死に取り組む中で、又大きな負の局面を味わっています。さらに2022年2月24日ロシアによるウクライナへの一方的な侵略行為によって世界は一触触発の戦争の危機に追い込まれ、エネルギー資源、穀物の不足などが起こり物価高騰が世界の社会経済活動に大きな負の局面を造り出しています。更なる負の積み重ねの中で、気候変動問題など大きな課題の改革が危機に陥っています。大きな試練の中心的な役割を日本が背負っています。