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台湾地方選 国民党勝利、蔡英文党主席辞意

台湾の首都台北で蒋介石のひ孫が市長に当選

国民党は総理孫文、総裁蒋介石、主席朱 立倫 として台湾の最大野党を率いています。戦後中国を支配していた国民党は中国と一定の連携をしながら台湾の繁栄をもたらす政策を行っています。しかし、中国共産党の率いる専制主義国家と相いれない自由主義を求めていることに矛盾も生じてきます。しかし、世界2位の経済・軍事大国になった中国の圧力は相当厳しいものがあると思われます。3期目の習近平主席は台湾を武力を使っても中国への帰属を実現させると表明しました。一方で懸念する自由主義国の台湾への支持が増しています。しかし、台湾国民は民主主義を選択する矛盾と対中国政策への厳しい選択に国家レベルでは抵抗し、地方レベルでは生活を優先する選択を行っています。1999年~2049年(50年間)一国二制度を続けてきた香港で民衆のデモが拡大することで中国は「国家安全法」を制定、デモを主導した香港人を中国の法律で裁くことが決まり、同様の環境にある「台湾」は総統選で民進党蔡英文総統を多数で選びました。

台湾は第2次世界大戦終戦までの50年間日本統治

日清戦争、1894年(明治27年)~1895年(明治28年)にかけて日本と清国との間で行われた戦争です。日本と清国の間で、李氏朝鮮の地位確認と朝鮮半島の権益を巡る争いが原因で引き起こされ、主に朝鮮半島と遼東半島及び黄海で両国は交戦し、台湾島平定で日本側の勝利と見なし日清講和条約(下関条約)の調印で集結しました。朝鮮半島の李氏朝鮮の支配と農民一揆により混乱する中、清国の支配を懸念した日本は清国に厳しい対応を迫った。日本は英国と日英通称航海条約締結によって清国対日本について英国は中立的立場を確認して日清戦争に踏み切った。日本は台湾島を平定して日清戦争を終え「下関条約」締結。1896年~1945年(50年間)台湾は日本の統治下にありました。中華民国(現台湾)の首都は台北に遷都(1949年)した。