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中国の人権抑圧はなぜ起こるのか?

新疆ウイグル自治区は中国の奥地中央アジア地域

新疆ウイグル自治区は習近平の一帯一路構想の重要な中央アジアに位置し、昔のシルクロードの要衝として栄えた少数民族(遊牧民)で西に移り住んだ地がトルコです。中央アジアの遊牧民が祖先(紀元前~2500年の歴史)で中央ユーラシアを拠点にしていました。中国の奥地に位置し1200年代はモンゴル(ジンギスカーン)の支配を受け、多くは中国の従属地として存在しました。中国最大の面積を有し、牧草・砂漠地帯、に囲まれたオアシス都市として栄え、西に1000m級の山脈に閉ざされた1900万人が居住する地域です。イスラム教を信仰するウイグル人が多く言語も違います。遊牧民であったウイグルは蒙古の支配、中国の支配下に置かれた時代が長く続きます。

一帯一路構想の重要地域新疆ウイグルを統治

中国最大の地域ウイグル自治区に1900万人が居住し3分の2がウイグル民族でイスラム教を信じ、言語も違い、骨格も違う民族を中国共産党の支配に置くことの厳しさを世界が注視しています。世界最高の品質を誇る綿花の産地で世界の多くの衣料品に採用されています。習近平の一帯一路構想の中で紛争は許されず、漢民族を移住させ同化策を進めています。ウイグル族と漢族の対立や暴動が頻繁に起こり、中国は強権的な統治を推し進めてきました。ウイグル自治区は高品質の綿の栽培、豊富な資源が埋蔵され絶対的な重要地域です。

暴動があるたびに強権的な対応を繰り返してきましたが、遅々として進まないことから習近平政権になって強制労働、主言語の改変、宗教の弾圧、女性の強制避妊、100万人の強制収容と同化教育の徹底など人権侵害が起こっています。

新疆ウイグルの弾圧に自由主義国が対峙する

ウイグル地域は西洋(古代ローマ)と東洋(古代中国)の重要の交易のルートとして、古代中国から絹、古代ローマから金が交易品「絹の道」「黄金の道」と呼ばれた重要な交易のルートの要衝であり、東洋(中国)の奥地で”草原と砂漠と山脈に囲まれた広大な草原地帯のオアシスに都市を築き栄えてきました。

シルクロードはユネスコの世界遺産に登録されています。

南西部にチベット自治区 チベット仏教の弾圧

新疆ウイグル自治区の南に仏教を信じるチベット自治区があります。チベット仏教の最高指導者「ダライ・ラマ」は世界に窮状を訴えて中国の弾圧から守るよう世界に発信してきました。中国共産党は一党支配の中で宗教を認めていません。ダライ・ラマはインドに亡命して願いを訴えています。チベット民族は暴動を起こすことなく、抗議は焼身自殺です。チベット自治区では最高指導者ダライ・ラマの写真を持つだけで中国の治安当局に捕まります。こっそり隠して、中国の治安当局がいないところでお祈りしているという現実があるのです。江戸時代の長崎・天草などで見られた「隠れキリシタン」のような状況になっています。中国は厳しい取り締まりと徹底した同化策を行っています。

中国共産党一党支配で司法制度は独立していない

香港に中国国家安全維持法の施行

アヘン戦争で英国に敗れた中国は1842年~99年間の期限で英国の直轄領土となり、世界の金融市場として繁栄して、中国の成長を支えてきました。1997年イギリスサッチャー首相と中国鄧小平の間で「一国二制度」のもとで50年後の返還協定締結されました。中国の成長を支えてきた香港は習近平のもとで2020年6月30に「中国国家安全維持法」を制定し、度重なる香港の中国化に反対する雨傘運動、100万人、200万人の反対デモに強権的な中国の介入を可能にする法律が制定され、即日施行されました。民主化運動の中心的なメンバーの逮捕、反中国の新聞社幹部の逮捕など、国家安全維持法の下で抑え込み、民主活動家の政治への参加も排除されました。

民主主義国としての台湾の危機

日清戦争後~戦前までの50年間日本の統治国であった台湾は戦後中国国民政府に帰属した。1920年代から総統であった蒋介石(蒋中正)と毛沢東率いる中国共産党との内戦が繰り返され戦後、共産党が攻勢をかけ蒋介石の国民党を台湾に追いやりました。台湾族と合流して民主主義国家として歩んできました。中国は台湾独立を認めていなく、中国の一領土であるとして世界に発信し台湾の独立運動を阻止しています。