中国を統治して70年 世界制覇を目指す中国
産業革命によって世界に領土拡大を目指した欧米諸国に、内戦に追われ続けたアジアの巨大国家中国はアヘン戦争など欧米列強に地域を侵略され、領土を分割して沿岸部に居留地を設けられ、歴史ある国家は分断国家として第2次世界大戦後も内紛が続きました。戦後国民党支配の中で、共産党国家が勢力を強め激しい内戦を経て国民党(蒋介石)を台湾島へ追いやり北京で共産党国家を宣言(1949年10月1日)後70年を迎えました。壇上に胡錦涛(80歳の前主席)江沢民(90歳の前々主席)にはさまれて、初代毛沢東が披露した人民服姿で70周年記念式典に登壇した習近平主席は世界制覇を宣言した。2021年7月1日 天安門で中国共産党建国100年も天安門で開かれました。(中国の記念する2021年)
中国共産党の凄惨な政治闘争 文化大革命
中華人民共和国で1966~1976の10年間に及ぶ毛沢東主席主導による文化改革運動とした毛沢東の権力復権運動の凄惨な政治闘争が行われました。
中国建国の父、毛沢東が展開した政治運動で、毛の主導で1958年~農工業の増産運動「大躍進政策」が失敗し、農業生産が激減、全国で大飢饉に陥り、毛の党内の権力基盤が弱り、国家主席を継いだ劉少奇が権力を強めました。1966年毛は権力奪還を目指して文化大革命を発動し、悲惨な政治闘争が10年間続きました。
日本では実態がよくわかっていなかったと中国内部の権力闘争で、期間中(1972年9月25~30日)周恩来首相の招きで田中角栄が訪中し「日中国交正常化の共同声明調印」しました。(文化大革命運動の最中)
文化大革命の運動は日本でも実態が良くわからない状況で、毛主席の婦人江青4人組が闘争の首謀で「紅衛兵」などを組織し、政治家、文化人などを徹底して糾弾し農村地へ労働として凄惨な社会を造り出しました。鄧小平、習近平も地方送りになりました。凄惨な革命運動は外部には分かりにくく終了し、改革開放運動へと舵を切ります。
民主化運動を軍隊の出動で抑えた天安門事件
1989年6月4日に中華人民共和国・北京市の天安門広場に民主化を求めて集結したデモ隊に、軍隊が武力行使をして、多数の死傷者を出した事件で「天安門事件」として語り継がれています。学生を中心とした民主化運動で胡耀邦総書記が後ろ盾になっていましたが1987年1月の中国共産党支持局拡大会議で辞任を認め、趙紫陽が首相、総書記となり民主化運動を指示していたことから天安門事件で失脚し、2005年亡くなるまで軟禁生活を余儀なくされた。改革開放を進める鄧小平が決断を下した。30年前の中国の民主化運動は「天安門事件」の凄惨な歴史で閉ざされています。
中国の指導部は民主化運動や各地の運動や暴動の拡大を恐れています。格差の是正などで不満が募ります。改革開放で成長した経済の中で腐敗も拡大します。習近平指導部は徹底した腐敗運動にメスを入れました。しかし、成長国家として格差が大きく生まれてきます。