何故か戦後復興と東京五輪・大阪万博を振り返る
私たち日本人は敗戦国として戦後の焼け野原に立ち尽くしました。衣・食・住を求めて戦後復興の渦の中で生活の道を求めて地方から集団就職など・・都会へと生き抜く道を求めました。戦後15年(1960年)所得倍増計画を掲げ戦後復興から抜け出す道を歩み始めました。1964年の東京オリンピックは戦後復興(1945~1964年)の象徴として国を挙げて開催を目指し競技施設、新幹線、高速道路網など莫大な費用を投じて開催を目指しました。1964年東京オリンピック開催で日本の戦後復興と成長を内外に示しました。
6年後(1970年)の大阪万博は「人類の進歩と調和」をテーマに掲げ、大阪吹田市千里丘陵の広大な土地を切り開いて万国博覧会の会場建設て開催され、アメリカが月から持ち帰った「月の石」が話題になりました。日本の人口の半数以上6500万人が万博会場を期間中に訪れました。海外からも多くの人が往来した博覧会にもなりました。東西冷戦の中、アメリカ館・ソ連館をはじめ多くの外国パビリオンが揃いました。
シルバーウイーク 秋の箕面山麓
のどかな箕面山麓は1970年開催の大阪万博の開催地大阪吹田市千里丘陵の北の山麓で素晴らしい景観の地です。私は小さな農園を借りて野菜作りをしています。大阪万博から50年の月日、千里丘陵地も歴史を積み重ねて大きく変わり、箕面山麓を抜けて住宅地が広がっています。 アシスト 中村
菅総理退任表明の中で自民党総裁選
コロナ過で菅首相退陣表明
安倍首相の病退任で急遽登板した菅首相は厳しいコロナ対策の中で一年、戦い続けていました。国民と与党自民党からの信任が低下し自ら総裁選出馬に立候補しない決断を下しました。
今、自民党は4人の立候補で選挙戦を戦っています。政権の多数与党として首相に任命されますが、任期満了の衆議院選挙がすぐに開かれ、国民の審判を仰ぐことになります。
日本は東京オリ・パラの開催を終え、拡大する第5波の中での選挙戦が開かれています。8月後半~9月中盤に感染者数が減少状況に転じ、感染対策と経済再生の大きな岐路に立っています。国民はは新たな環境を早く取り込んで次のステップへ進むことを目指しています。