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いわし雲、厳しい夏を乗り越え秋の訪れ

休日、秋の訪れを感じながら千里川沿いを散策する

コロナ感染拡大で委縮する社会が1年半続き、国民の多くは鬱積する感情に追い込まれています。私も事業活動が制限され、厳しい環境の中で日常を送ることになりました。日本の社会経済は明暗分かれる格差が広がっています。マスクをかけ人と距離を置き、会話のない社会で閉じ込められる日常に戸惑います。

今日は、千里川沿いを開放を求めて散策しました。猛暑も過ぎ少し汗ばむ季節を迎え、空にはいわし雲が浮かび、何かホッとする気持ちで川沿いの新しい空気を感じながら秋の花を眺めて歩いています。

9月3日、菅総理はコロナ対策で国民の支持率低下を招き、衆議院選挙を控えて自民党議員の混乱が浮き彫りなり、総裁選に立候補しない決断をしました。自民党の重鎮と若手議員の鬩ぎあいの中で、岸田・高市・河野・野田氏の4名が立候補して明治以来100代目の総理を目指す選挙戦に入ります。

私は千里川のせせらぎを感じながら、秋の花を立ち止まって、季節を感じ、空気を吸って、空を見上げ、野に咲く花を見つけてシャッターを押しました。 

コロナ対応に翻弄された菅総理大臣

菅総理、コロナ過で任期一年で退任の決断

昨年9月、安倍総理の体調不良で任期一年を残して退任、急遽、自民党議員の多くの賛同を得て就任した菅総理は、国会で力強い言葉で日本の未来を切り開く所信表明演説を行い、国民の74%の支持を得てスタートしました。2050年温室効果ガス排出ゼロの脱炭素社会、デジタル化を打ち出し、行政の縦割りを打破し、大胆な規制改革を断行することを掲げ、国民に身近な携帯電話料金の40%以上の引き下げを掲げ携帯電話会社に迫りました。コロナでは昨年4月安倍総理は第1波で緊急事態宣言を発出、学校の閉鎖、他府県を超える人流移動の制限、テレワークの推奨・飲食など多くの社会経済活動を制限しました。

  • 昨年のゴールデンウイーク 新幹線・飛行機の搭乗者が前年比90%減少
  • 学校の閉鎖、企業のテレワーク実施、飲食・酒類の制限など多くの社会経済活動の制限
  • コロナ感染が欧米~世界に拡大、東京オリ・パラの一年延期決定 第一波収束に向かう
  • 7月22日~GOTUトラベルキャンペーン開始と同時に第2波の懸念が訪れる。

・第2波の感染拡大が続き、東京をGOTUトラベルキャンペーンから除外、10月まで東京の除外が続く!

・8月末安倍総理が体調の悪化を理由に首相退任を表明し、7年半の過去最長の総理が退くことに!

・急遽、自民党総裁選挙となり岸田・石破・菅氏の立候補で選挙が行われました。

コロナ禍の厳しい状況の中で任期一年の菅総理が多数で選ばれ、74%の国民の支持を受け誕生しました。

コロナ第3波~第5波の感染拡大の対応で支持率低下

4か月ごとに繰り返した感染拡大の波

人流抑制、3蜜回避の政策で乗り越えてきたコロナ対策を振り返ってみると4か月サイクルで感染が拡大して第1波~第5波を迎えています。その間、GOTUトラベルキャンペーン政策で第3波の拡大を呼び、英国株で第4波、インド(デルタ)株で第5波の拡大を招いています。その間いろいろな対策を行ってきましたが、変異株による拡大の対応に遅れ、日本で開発できなかったワクチン接種も他の先進国に遅れていました。第4波のデルタ株が関西圏から拡大し、遅れて関東圏に広がりました。昨年末からイスラエル・英国でワクチン接種が始まり徐々に効果が確認されました。一気に先進国の接種が加速しました。遅れた日本も2月頃医療従事者に始まり、4月後半から65歳以上の高齢者接種(3600万人)が始まり、予約が殺到しました。ワクチンの供給量も不安定な中、河野のワクチン担当大臣を選任し、菅総理の号令で1日100万人接種が始まりました。自衛隊による集団接種、職域・大学の接種も準備されました。しかし、変異株が猛威を振るい感染が拡大しました。

変異株による感染拡大と東京オリ・パラ開催

変異株による感染拡大が懸念される中、東京オリ・パラの開催が懸念されました。IOCは開催に突き進み、開催国日本の対応に懸念がありました。世論の状況は開催に消極的な意見が示され、野党からも厳しい追及が連日続きました。開催都市東京都、日本国政府、大会組織委員会、IOCの連携にも厳しい状況が示されました。既に1年延期した大会を再度延期する判断の厳しさ、5者会談でも開催を貫きました。一方で政権への批判も増え続け、菅総理の対応に疑問を投じ支持率が低下しました。感じられるのは安倍総理も対応に苦慮したこと、変異株の拡大と、ワクチンの効果が判明しない状況で、先のビジョンも描けないジレンマに陥り、国民は不安に置かれ政府の対応に不満を抱き、自民党総裁選に菅総理の不出馬表明となりました。

100年に一度の感染症、目に見えないコロナとの戦いは「誰がやっても」厳しい環境であったことに違いはありません。