バイデン 初の記者会見
トランプ大統領の自国第一主義からバイデン大統領は民主主義国家の連携を強調して中国と厳しく対峙していくと述べました。
4年前、トランプ大統領の就任で米国と中国に大きな貿易不均衡があるとして、互いにエスカレートした関税合戦は全品目に及びました。バイデン大統領になってどのように変化するか注目されています。中国発のコロナ感染で最大の感染者数を出したアメリカといち早く収束し、回復する中国に対して、バイデン大統領は自由主義国家の同盟強化を謳い、ウイグルの人権問題、香港の国家安全法、台湾への圧力、世界各地の貧困国への支援と搾取政策、南沙諸島の一方的な領土変更による岩礁埋め立て軍港化の既成事実を強権力で実行していることに触れ「民主主義と専制主義の闘い」であると初の記者会見で表明しました。
一党の国家支配で野望に突き進む中国の脅威
1978年、国家主席鄧小平によって提唱された改革開放政策から40年、イデオロギーと経済開放の狭間で紆余曲折を繰り返し「経済特区政策」で成長を続けてきた中国は世界2位の経済大国に成長しました。民主化を進めようとした”天安門事件””一国二制度の香港返還協定”などを行いながら、14億人の民を一党支配のもとで推し進めてきた改革開放政策、不都合な訴えは封鎖し、一人っ子政策、経済成長至上主義で国力を挙げてきました。14億人の人民の労働力は大きな力となり、外国資本との合弁会社をベースに成長を遂げてきました。天安門事件の30年前は自由主義国家の気運もあり期待もしましたが、国家の弾圧によって封印されました。(中国では天安門事件は封印されています)
自由主義を取り入れた「改革開放」は中国成長の大きな柱で、2008年のアメリカ発リーマンショックでアメリカの地位が揺らいだことは事実です。中国GDPは急角度で成長を続け、習近平主席が一帯一路を掲げ覇権国家としての野望が顕著になっています。
30年前激動の世界、共産主義と自由主義の主張
1989年改革開放による経済成長を模索する中国に、民衆が更なる開放を要求「天安門事件」に発展、政府の胡耀邦総書記も賛同したが、鄧小平主席は反対し主張は抹殺された。ソビエト連邦でもゴルバチョフ大統領による「ペレストロイカ」によって社会主義経済を提唱して、ソビエト連邦の崩壊に至り、1991年「ベルリンの壁」が壊されました。日本は世界2位の経済国として世界を牽引していました。しかし、日本も4年3ケ月の浮かれたバブル経済も1991年3月崩壊し、平成不況の始まりを迎えていました。世界の警察となったアメリカは経済・軍事において世界を制覇してきました。しかし、2008年のアメリカ発のリーマンショックで世界のバブルがはじけ、成長を遂げていた中国が大きな力を成してきました。アメリカ経済、日本経済が低成長のなかで中国の台頭が顕著になりました。
ベルリンの壁に見るドイツの成長の影に
1991年、日本はバブル崩壊を迎えて、銀行や大企業の倒産劇で揺れていました。同時に世界はソ連崩壊になり、ベルリンの壁が崩れる歴史的な事態が起こっていました。東ドイツにあった首都ベルリンも含め西ドイツの自由主義国家に併合されました。現メルケル首相は東ドイツ出身の首相として現ドイツを率いて活躍しています。東ドイツの人々は厳しい労働環境を乗り越えて、併合ドイツの繁栄に大きな力となってきました。工業経済国家ドイツはEU圏の優等生として、EUを引っ張っています。ただ、ドイツの主力産業の自動車産業は中国の成長が大きく貢献しています。日本同様、中国への経済的依存は米中対立の中で大きな懸念となっています。中国は強固な経済力によって圧力を強めています。
一帯一路と中国製造強国2025の実践
改革開放で成長著しい中国は、14億の民の労働力と消費力によって急成長を遂げ2010年に日本を抜いて世界第2位の大国となりました。習近平国家主席を頂点とする中国共産党の指導体制の下で一帯一路構想、中国製造強国2025の国家戦略の推進など一貫した党の統制指導体制の中で実現に向けて、国家の指導の下で突き進んでいます。
民主主義国家は政治体制や運営は民意に基づいた体制の中で、政府や民間の人々の自由な議論の中で選択しています。民主主義と専制主義の闘いはこの中で作られる政策の過程が大きく違っています。自国第一主義を掲げたトランプ大統領の政策から、バイデン大統領の政策は大きく違っています。ただし、アメリカ合衆国の民は変わらず政策を取捨選択して新しい道を歩みだしています。アメリカは、強国中国を目指す状況に同盟国などと協調しながら対応を図ると動き出しています。中国は賛同国家の取り込みと圧力外交を模索しています。日本はアメリカの同盟国、近隣中国との経済のつながりの狭間で厳しい判断が求められます。4月16日菅総理大臣がアメリカバイデン大統領と直接会談が予定されています。