日本の一次エネルギー供給の推移

日本の一次エネルギー(化石燃料)比率

・1973年 第一次オイルショック 94%

 石油76・石炭17・LNG2・水力4・原発1

・2010年 東日本大震災前    81%

 石油40・石炭23・LNG18・水力3・原発11・

 再エネ4

・2017年原発事故後の最新    87%  

                      石油39・石炭25・LNG23・再エネ8・原発1・水力4

日本は電力の一次エネルギー比率の80%以上を化石燃料に頼って、社会・経済発展を維持しています。戦後は敗戦統治国の中で石油輸入禁止で石炭に依存し、さらに、巨大ダム建設による水力で電力を賄ってきました。石油精製が許され原油を輸入して化学コンビナート建設を推進し、エネルギーも石油・LNGに変化し、石炭産業は効率が悪いことから閉山していきました。現在は石炭の輸入はオーストラリアなどに依存しています。

オイルショック後は原油比率を下げ、原子力発電に順次シフトをしていきました。

オイルショック後に再生可能エネルギーの開発に着手し、太陽光や風力・地熱なども検討されましたが石油・LNGなどの効率に押され発展しませんでした。原発事故後もエネルギー政策は議論されてきましたが、高効率の石炭火力などに注力し、再生可能エネルギーの発展につながりませんでした。

第一次産業革命による明治維新の軌跡

エネルギー資源のない日本は技術の結集

日本は江戸幕府(1603~1867 264年)による武家社会と鎖国政策で、外国との交易を閉ざしてきました。西欧の産業革命による重工業の蒸気機関などの発達で大航海時代が生まれアジアで西欧諸国による植民地化が起こりました。

日本は1867年の大政奉還によって、江戸幕府から天皇君主制と明治政府による統治が始まり明治維新が誕生しました。

若き志士たちが西欧に学び、近代国家へと歩みを始めました。小さな島国日本は列強と対峙して生き残るためすべてを吸収しました。

黄金の国(日本)で採掘される金・銀の採掘は欧米の列強国にとって高貴な国と映っていた

戦国時代は金山(佐渡金山菱刈鉱山・・)銀山(石見銀山生野銀山)などは幕府直轄で採掘されていました。江戸時代はエネルギー資源である石炭・石油・ガス田の記述が少なく、エネルギー源は炭・薪で賄って石炭も一部使っていた記述がある。

第一次産業革命の蒸気機関の燃料は石炭です。第2次大戦の戦闘機の燃料は石油(ガソリン)です。