1840年アヘン戦争 大英帝国の清国攻撃
大英帝国イギリスは産業革命によって綿織物をインドへ輸出し、インドの手織綿が衰退、インドは清国へアヘンを輸出、清国はアヘンの密輸入を禁止してアヘン戦争に勃発、英国の艦隊に清国は太刀打ちできず北から南までの湾岸沿いを制圧され戦争責任で「香港」を割譲し多額の賠償金を銀で支払うことになった。
産業革命によって巨大化する西欧の中でもイギリスの巨大艦船に清国は太刀打ちできなかった。
明治維新の頃の欧米列強国は海洋貿易を拡大し、近代化に遅れるアジア諸国を植民地にして国力を誇示した時代、日本は徳川の鎖国政策に区切りをつける明治維新を迎えていました。
日本は徳川幕府・朝鮮半島は李王朝が統治
日本は四方を海に囲まれた独立国家で朝鮮半島の李王朝は列強国清国(貢国)・ロシア帝国と陸続きで厳しい環境の中で両国とも鎖国していました。日本・朝鮮に列強国が入れ替わり通商交渉を仕掛けてきました。日本は徳川幕府の大政奉還(1867年)翌年天皇制の明治政府が誕生明治維新で開国し近代化に大きく舵を切りました。朝鮮半島にも同様に列強国が通商交渉を仕掛けましたが、清国やロシアとの関係に戸惑い開国が遅れました。
欧米の産業革命が明治維新を起こす
1800年前半に織機の機械化が進み、蒸気機関のピストン・タービン開発で蒸気船・蒸気機関車の動力源となり欧米の産業革命が急発展し、世界の海洋に大砲を積んだ蒸気船を繰り出し発展の遅れているアジアに出没して国力を誇示し開港を迫りました。1850年頃西欧の近代化に後れを取ったアジアの地は西欧の列強国の植民地となり、大国清国(中国)も英・独・仏などの進出で割譲されています。日本の浦賀湾にアメリカペリー艦隊4隻でやってきました。徳川幕府は巨大な蒸気船黒船と大砲を見て慌てました。幕府討伐を掲げる若い尊王の志士たちが決起して、無血開城(江戸城)で大政奉還を成し遂げ明治維新を迎える。同じころ朝鮮半島にも欧米・ロシア帝国が開国を迫っていました。李王朝は清国の貢国としての制約が開国を遅らせたのか?
明治維新の大改革と西欧に学ぶ力
武家社会と鎖国政策による後れを感じた明治維新の志士たちは積極的に西洋の文化・産業を取り入れながら、国内改革(士農工商の身分廃止・廃藩置県・地租改正などを矢継ぎ早に実践し、寺子屋の学びから義務教育の実施、国を守る軍隊を組織し徴兵制を採用、国の財政を安定させるための地租改革など、西欧の政治体制に学び、議会制民主主義・裁判の独立性・大日本帝国憲法の策定改革で日本の租を築きました。
明治維新の三大改革 ・学生 教育改革 ・徴兵令 軍事改革 ・地租改正 財政改革