大阪のシンボル御堂筋の高層ビル建設で活気
1923年(大正12)第7代関一大阪市長が将来を考えた都市計画を進め、24間幅の御堂筋と地下鉄御堂筋線建設工事が1929年に着工1937年(昭和12年)竣工しました。
戦後復興・高度成長のシンボル道路として大阪の経済を支えてきました。
御堂筋周辺の建物は1920年(大正9年)施行の市街地建築物法に基く百尺(33m)規制高さ制限がありました。
1969年の建築基準法改正で容積率になり大阪市が高さを指導してきた。1995年から外壁の高さを50m、10m後方60mに指導される。2007年(平成19年)(1階を公共の場とする条件に後方部分を140mに緩和されている。
御堂筋の起点とされる淀屋橋に140mのツインタワー計画
商都大阪のシンボル道路「御堂筋」は高さ制限の制約で高層化が遅れ、本町を中心とした御堂筋に33mの古い建物が残されています。高層の建物は周辺に散らばり、近年は大阪駅・難波・アベノなどの地域の高層化が話題になって、御堂筋の衰退が気がかりでした。
大手企業・有名ブランドの店舗・商業施設・ショールームなどの多くは大阪駅・梅田周辺に移り御堂筋の開発は遅れていました。
一等地とされた御堂筋ビル群も空室が目立ちました。
2007年の140mの高さ制限の改正を活かす活気が御堂筋に戻ってきました。大阪市役所と日銀大阪支店の川向うに御堂筋の玄関としてのシンボルタワー(140m・東西)のツインタワー構想が発表されています。
発展する御堂筋に期待
関西国際空港を通して訪れるインバウンド(外国人観光客)の増加で、商業都市大阪が京都・奈良・神戸などの玄関都市となり、心斎橋筋・道頓堀などの商業施設も活気を取り戻しています。2025年の大阪万博開催などが決まり、商業都市大阪の復活が見えてきました。
大阪の空室率が低く、空き室を探すのに苦労する状況になっています。淀屋橋のツインタワー建設のため、企業の移転先が見つからない現象になっています。
ツインタワー建設と同時に御堂筋に高層ビル群が計画されることが予測されています。 銀杏並木もどのようになるのか楽しみです。