1949年中華人民共和国設立70周年
1885年 中国清朝は国防上の重要性を認識し台湾省を新設した。1894年の日清戦争勃発で敗北し1895年の下関条約で日本に割譲した。日本政府は台湾総統府による統治を1945年まで50年間続けました。第二次世界大戦中1943年のカイロ会談(米国・英国・中華民国・ソ連)で台湾を中華民国に返還すると決められ、中華民国は連合軍の委託を受けて台湾に軍を進駐させ、台湾省を設置統治した。
1946年から激化した中国内戦(中華民国政府と中華人民解放軍)の争いによって中華民国は中国共産党に支配地域を奪われ、1949年4月首都南京を制圧され10月には中国大陸の大部分を中国共産党が制圧し中華人民共和国の建国を宣言した。
1949年、台湾と中国は分断国家
台湾に撤退した中華民国政府(台湾)と中華人民共和国(中国)双方が正統な中国を主張してきました。現在日本では中国(中華人民共和国)・台湾(中華民国)と呼んでいます。韓国・北朝鮮や統一した東西ドイツと同じような分断国家と言えます。
経済・軍事・人口の巨大国家となった中国と国交を結ぶと台湾との関係が厳しい状況になっています。
台湾は自立国家として生産技術の地位を築き成長し対立する中国にも工場などが進出、世界と経済交流してきました。一方中国は改革開放で世界第二位の経済国家となり、世界の工場国家であり14億人の消費国でもあります。
しかし、双方は互いに国家として認めていません。中国政府は台湾を中国の一地域として扱い、台湾でも憲法上は大陸を含む中国全土を統治していることになっています。そのため二重承認は認められず、各国はどちらかを承認したら、もう片方との断交を迫られる状態が続いています。現在台湾と国交を結んでいるのは世界15カ国です。
親中派・独立派に揺れる台湾の総統選
親中派・独立派・中間派による総統選
中国の影響下にある台湾は中国回帰?独立?揺れ動きます。台湾は50年間の日本統治の歴史もあり、戦後において日本の戦後復興・高度成長の影響を受けながら、技術生産国として中国よりも先に経済成長を遂げてきました。14億人を抱える中国は改革開放によって対岸の上海など沿岸地域の工場生産が拡大し、安い労働力を利用して急速な成長を遂げてきました。
現在、世界の生産国・消費国として拡大し、世界第二位の経済大国となり、軍事国家として海洋進出を図り一帯一路の中国経済圏構想を推し進めています。
中国にとって太平洋に浮かぶ自由主義国家台湾の存在は面倒な国でもあります。
台湾は共産党一党支配の大国中国の意向と対峙し、自由を選択する厳しさがのしかかっています。
ミサイルや空母を保有した中国の脅威に怯え、中国に生産拠点を持つ企業等厳しい選択が求められます。
香港のデモが台湾に影響
香港の逃亡犯条例反対のデモが拡大長期化
英領金融経済都市として栄えた香港が2045年の全面返還を迎えて、共産党一党支配の影響が徐々に表れ、6月の逃亡犯条例制定反対のデモが100万人~200万人規模に拡大し、デモ隊と治安警察部隊の激しい争いに発展しています。
地方議会選挙で大勝しても、民意が反映されない現実に直面し、中国支配の脅威にさらされています。一国二制度と言う言葉と違った、国家権力の危機を同じように台湾でも感じています。
台湾国民は来年1月の総統選に誰を選ぶのか大きな意味のある選挙を迎えています。