気骨ある政治家中曽根康弘の死
少数派閥、中曽根派を率いて田中派の支持を受けて1982年首相に就任、国鉄改革、電電公社改革、日本専売公社改革など短期間に日本の構造改革を実行しました。岸内閣・佐藤内閣・田中内閣などの閣僚を経験し、早くから原子力政策にも力を注ぎ、アメリカのレーガン大統領と渡り合い日米強化を計りました。就任中にはアメリカで行われたプラザ合意なども実行し、武器輸出3原則のアメリカへの緩和を実行する。
政府主導の臨時調査会で行政改革に着手、当時実業家の土光敏夫に依頼、土光は「臨調の提案を首相が必ず実行すること」で引き受け提案、国鉄改革が実行された。この決断がなければ今日の「JR」が出来なかった。電電公社・専売公社民営化も実行した。憲法改正論者でもあった。リクルート問題に関係し自民党を一時離れる。
実行力と行動力で歴代首相の閣僚として活躍、幹事長・総務会長など自民党の要職にも就く。
土光敏夫 政治家とも飲食をともにせず、メザシを食べて多くの改革を成し遂げた実業家
行政改革を実行した政治家
元内務省・海軍の主計少佐の肩書を持つ政治家
元軍人としての肩書からタカ派として知られ、少数派閥の中に先鋭的な議員もいました。首相就任で靖国参拝して、中国の激しい批判を受けた事から、就任中は参拝を控えました。
内務省出身で各省庁の大臣を経験し中央集権政策に精通した政治家でもありました。官僚の経験と歴代首相の閣僚として多くの省庁を歴任、政治と政策に精通した政治家であったと思われます。令和になって新たな歴史が動く年の死を惜しむ声もありますが、新たな時代の幕開けでもあります。