今日、高度経済成長を遂げる中国・韓国と戦後成長を遂げた日本、終戦直後の朝鮮半島は北朝鮮(共産主義の中国・ロシアの支援)と韓国(米国を中心とした連合国の支援)戦争が起こり、1953年休戦協定の締結、65年経過した今も休戦状態にあります。北朝鮮の核・ミサイルの国連制裁下で米朝首脳会談が開かれています。
歴史は国家や時によって判断が異なる
150年の歴史的背景の中で、高度成長を遂げた中国・韓国と日本との間で歴史認識の紛争が度々起こります。しかし、経済的な結びつきは後戻りできないパイプでつながっています。世界の産業革命・日本の明治維新の大きな転換期から、良くも悪くも近隣諸国との紛争・戦争の悲惨な状況が現実に起こって今日を迎えています。
明治維新と産業革命
徳川幕府(江戸幕府)265年の鎖国政策から大政奉還による明治政府(明治維新)の誕生。戊辰戦争(明治元年~2年)政府軍と朝廷軍との戦いで政府軍が制圧する。
明治10年、士族の不満を受けた西郷隆盛率いる武力反乱「西南戦争」が明治以降現在に至る最後の内戦になり制圧されました。
イギリスの産業革命によって、蒸気船・大砲を使う欧・米・露などの列強国の脅威が続き、アジア諸国は植民地の道をたどりました。
日本は短期間で列強国から政治・経済・産業を学び成長を遂げ独立国家を維持してきました。
明治22年(1889年)大日本帝国憲法が公布、翌年帝国議会が発足し、アジアでは初の本格的な立憲君主制・議会制国家が誕生しました。
明治維新 画像
産業革命 画像
日清戦争と朝鮮独立
日清戦争
1894年(明治27年~28年)にかけて日本と清国の戦争です。発端は李氏朝鮮の地位確認と朝鮮半島の権益をめぐる争いで、事実上の代理戦争となり、主に朝鮮半島と遼東半島・黄海で両国は交戦した。台湾平定で日本の勝利と見なし日清講和条約(下関条約)の調印によって終結した。
日本は台湾及び遼東半島(中国大連)及び朝鮮協定となりました。
清国に対して李氏朝鮮に対する主権の放棄と独立を承認させた。
賠償金も得ることが出来、近代国家として認められ国際的な地位が向上し、賠償金は国内産業の発展に活用され、工業化の第一歩を踏み出した。
三国干渉(独・仏・露)による遼東半島の施政権を清に戻すことが示され、後の日露戦争に繋がっていきます。
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日露戦争に発展
日露戦争(日清戦争から10年後)
1904年(明治37年~38年)にかけて日本と極東に進出する大国ロシア帝国の間で行われた朝鮮半島・満州と遼東半島の権益をめぐる争い、満州南部と遼東半島が主な戦場になった。
大国ロシア帝国は地中海に面するバルカン半島と極東アジアに領有権を拡げ、ヨーロッパや朝鮮半島の脅威となっていた。
極東の不凍港を目指して南下し、遼東半島にロシア艦隊が入り、満州及び朝鮮北部の権益を確保していた大国ロシアは朝鮮半島に深く進出していた。
日英同盟などを経て、旅順港にいたロシア太平洋艦隊に奇襲攻撃で始まった。戦況を見てロシアのバルチック艦隊が北海・地中海スエズ運河、南アフリカ喜望峰経由で日本に艦隊を送り、日本は対馬海峡を通るロシア艦隊を待ち受け撃墜する。
ポーツマス条約(アメリカ合衆国の仲介)により講和した。条約で日本は朝鮮半島における権益が全面的に承認され、樺太の南半分を割譲、ロシアの(清国)大連・旅順の租借権が移譲された。
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李王朝国の朝鮮半島
李王朝国の朝鮮半島
李氏朝鮮(1392~1910年)朝鮮半島の国家「李朝」は朝鮮民族国家の最後の王朝で朝鮮半島の最後の統一国家。
1894年、李王朝は農民軍の反乱によって清に援軍を求める中で、朝鮮に駐留していた清軍と列強の支持を得て介入し日清戦争に発展しました。日本軍の勝利によって朝鮮国は「1895年大韓帝国」、言語は漢語⇒ハングル文字になりました。極東を南下拡大するロシアと日露戦争の勝利で、ロシアの朝鮮半島への進出を抑え、1905年に日韓併合へと変遷する。さらに1909年朝鮮と清との国境の画定を実行する。
画像は現在の韓国・北朝鮮の地図で、38度線で休戦協定で確定している境界が赤で示されています。
今も南北分断国家として厳しい状況下にあり、協定調印国アメリカ・中国が其々の国を守る状況にあります。
大韓帝国はロシアと接近、日露戦争に発展
1904年~5年 日露戦争
独立国家の大韓帝国は、日本の影響下に入ることを望まない皇帝と一部派閥はロシア帝国と接触したことから、不凍港を目指すロシアの南下を懸念し、日清戦争の10年後(1904年)に日英同盟を結び日露戦争に発展しました。日本の勝利でポーツマス条約締結(アメリカの仲介)、日韓不平等条約などが結ばれ、日韓併合に発展する。
伊藤博文 暗殺
伊藤博文と安重根
周防国(山口)出身、長州藩私塾松下村塾に学ぶ、幕末の尊王攘夷・倒幕運動に参加。明治維新後は薩長の藩閥政権内で力を発揮、岩倉使節団の副使、初代兵庫県知事、大日本帝国憲法の起草の中心となり、初代・5代・7代・10代の内閣総理大臣、初代貴族院議長、初代韓国総監、元老を歴任
1909年10月16日 ロシアの蔵相と満州・朝鮮問題で非公式に会う予定の満州ハルピン駅で朝鮮民族主義活動家の朝鮮人安重根に暗殺される。
大韓帝国 独立運動100周年 3.1(2019年)
朝鮮独立運動 100周年(2019年)
日清戦争後大韓帝国の独立、ロシア帝国の朝鮮進出を阻む日・英同盟で起こった日露戦争後の日韓併合に納得いかない民衆は立ち上がり、1919年3月1日正午、京城府(現ソウル市)のタブコル公園で独立を宣言した学生と青年たちが数万人の群衆とともに「大韓独立万歳」と叫びデモ行進を行ったことが発端で三・一運動は始まった。
2カ月続いた抗日運動は200万人になり、朝鮮総督府による抗日運動の厳しい取り締まりにより、独立運動家は半島外で民族解放を運動を行った。 (3.1運動100周年は独立運動から100年を表し反日運動の日と重なる)
経済・人的交流は未来志向で考える
経済成長を遂げた韓国と日本は、経済・人的交流は積極的に進められています。政治の関係においても「日韓議員連盟」などによって、過去の不幸な出来事を乗り越えて互いに未来志向で解決していくことで勧められています。
しかし、歴史の厳しさ、難しさを感じながら、乗り越えて良きパートナーとなることを願っています。