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纏向遺跡と邪馬台国と卑弥呼説

古墳時代の始まり纏向遺跡の発掘

纏向遺跡は奈良県桜井市の三輪山の北西麓一帯の弥生時代末期から古墳時代前期の集落跡地で国の史跡に指定されている。

3世紀に始まる遺跡で、一帯は前方後円墳発祥の地と推定される。邪馬台国の中心地に比定する説があり、卑弥呼の墓との説もある箸墓古墳などの6つの古墳が分布する。

当時としては広大な面積を持つ最大級の集落跡であり、一種の都市遺跡である。遺跡内に箸墓古墳があり、倭迹迹日百襲姫命(モモソヒメ)の墓との伝承を持つが、これは墳丘長280mにおよぶ巨大前方後円墳である。それに先駆けて築造された墳丘長90m前後の「纒向型前方後円墳」も3世紀においては日本列島最大の墳丘規模を持っており、ヤマト王権最初の大王墓である。

前方後円墳としての古墳時代の始まりになります。その後の百舌鳥・古市古墳群につながっています。

纏向遺跡から桃の種が出土

邪馬台国の最有力候補地とされる纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)の中心的施設跡で出土した大量のモモの種について、放射性炭素(C14)年代測定で「西暦135~230年の間に実った可能性が高い」との分析結果が出た。
遺跡は邪馬台国より後の4世紀以降とする異論もあるが、卑弥呼(ひみこ)(248年ごろ没)の活動時期と年代が重なる今回の分析は、遺跡が邪馬台国の重要拠点だったとする「畿内説」を強める画期的な研究成果といえる。